Love Slalom Ski [SKI]
Finn Christian Jagge passed away at the age of 54.
My deepest sympathy.
金曜日、突然訃報が飛び込んできた。
My deepest sympathy.
金曜日、突然訃報が飛び込んできた。
ノルウェーチームのフィン・クリスチャン・ヤッゲが亡くなった。54歳の若さで。
若すぎる。ほんとに残念だ。
1992年アルベールビルオリンピックスキー回転競技金メダリスト、そして98年長野五輪7位。
92年の優勝は日本のYAMAHAのスキー履いての優勝だったのでとても話題になりました。
ヤッゲはあのノルウェーチームの黄金時代を支えたスター。
他にもブロース、フルセット。素晴らしいスラローマーがたくさんいました。
なぜ亡くなったかなどは具体的に明かされてませんが、有名な選手の死はやはりショックです。
で、私も彼の勇姿をもう一度見直そうと、撮影した写真をアルバムをめくりながら探しました。
1998年2月21日@志賀高原 焼額山スキー場
長野オリンピック男子回転に彼の姿がありました。
しかも
ゼッケンナンバー 1番
この素晴らしい滑り、目に焼き付けます。改めまして。
謹んでお悔やみ申し上げます。
久しぶりに1997-98年の写真を掘り起こす機会が与えられて
コーヒー飲みながら、懐かしい昔を振り返る時間を取りました。
1998年長野オリンピックのころ、私も長野県で戦っていました。
たった一人で、松本の戦場にほおりだされ、右も左もわからない中でひとつづつ仕事をこなしてました。
それでも長野の人たちはとてもやさしくて可愛がってくれました。
今の私があるのもそのおかげだと思ってます。
「冬季の長野オリンピック、しかも回転競技って?」て思う方。
実は会場ってこんなに盛り上がってたんですよ。
ヨーロッパでは今でも当たり前のこんな光景。
日本もぜひアルペンスキーがいつもこのくらい盛り上がってくれると嬉しいですね。
ヤッゲはあのノルウェーチームの黄金時代を支えたスター。
他にもブロース、フルセット。素晴らしいスラローマーがたくさんいました。
なぜ亡くなったかなどは具体的に明かされてませんが、有名な選手の死はやはりショックです。
で、私も彼の勇姿をもう一度見直そうと、撮影した写真をアルバムをめくりながら探しました。
1998年2月21日@志賀高原 焼額山スキー場
長野オリンピック男子回転に彼の姿がありました。
しかも
ゼッケンナンバー 1番
フィン・クリスチャン・ヤッゲ
この素晴らしい滑り、目に焼き付けます。改めまして。
謹んでお悔やみ申し上げます。
久しぶりに1997-98年の写真を掘り起こす機会が与えられて
コーヒー飲みながら、懐かしい昔を振り返る時間を取りました。
1998年長野オリンピックのころ、私も長野県で戦っていました。
たった一人で、松本の戦場にほおりだされ、右も左もわからない中でひとつづつ仕事をこなしてました。
それでも長野の人たちはとてもやさしくて可愛がってくれました。
今の私があるのもそのおかげだと思ってます。
「冬季の長野オリンピック、しかも回転競技って?」て思う方。
実は会場ってこんなに盛り上がってたんですよ。
ヨーロッパでは今でも当たり前のこんな光景。
日本もぜひアルペンスキーがいつもこのくらい盛り上がってくれると嬉しいですね。
私の力なんて本当に微々たるもので、いや目に全く見えないかもしれませんが
それでもかつてのアルペンスキーヤーの端くれとして、どんな形であっても
アルペンスキーを心の底から応援しています。
で、もう少しさかのぼりまして。オリンピックの前の年の1997年。
プレオリンピックの形で、アルペンスキーが同じく長野県で行われていたんです。
私も少しばかり撮影に行ってました。
1997年 場所はオリンピックと同じ
@志賀高原 焼額山スキー場
当時のスキーの写真を探していたらこんなのも出てきました。
アルペンスキーを心の底から応援しています。
で、もう少しさかのぼりまして。オリンピックの前の年の1997年。
プレオリンピックの形で、アルペンスキーが同じく長野県で行われていたんです。
私も少しばかり撮影に行ってました。
1997年 場所はオリンピックと同じ
@志賀高原 焼額山スキー場
当時のスキーの写真を探していたらこんなのも出てきました。
Japan Teamの木村公宣選手
もちろん、まだカービングスキーの登場する前。
スキーの板はスラロームですから、200cmから203cmあたりが主流のころです。
木村選手がまだROSIGNOL TEAMに所属してた頃ですね。
今見てもとても美しいフォームです。惚れ惚れします。
もちろん、まだカービングスキーの登場する前。
スキーの板はスラロームですから、200cmから203cmあたりが主流のころです。
木村選手がまだROSIGNOL TEAMに所属してた頃ですね。
今見てもとても美しいフォームです。惚れ惚れします。
スキーの板がカービングでないということは、同時にカメラはデジタルでないということ。
当時はまだフイルムだったから、今みたいに無駄にシャッター切ってない。
当時はまだフイルムだったから、今みたいに無駄にシャッター切ってない。
「1秒間に20コマもシャッター切ればどれか当たる?!」なんてことは絶対にない。
もちろん、8段手ブレ補正なんてないから1脚立てて、
ファインダーをのぞきながら、最高の一瞬を待つ。
もちろん、8段手ブレ補正なんてないから1脚立てて、
ファインダーをのぞきながら、最高の一瞬を待つ。
そして、呼吸に合わせてシャッターを切る。
現場は戦場、真剣勝負!
そう、まさに渾身の1枚。
現場は戦場、真剣勝負!
そう、まさに渾身の1枚。
カメラは確かミノルタα-7に300/2.8+1.4テレコンだった。
この写真の入っていたアルバムの最後にはこんな記念写真がありました。
いや~もっと若い!
これはさらにさかのぼる。1990年くらいかなー。
この写真の入っていたアルバムの最後にはこんな記念写真がありました。
いや~もっと若い!
これはさらにさかのぼる。1990年くらいかなー。
木村さんご本人も含め自分も超若い笑
いい時代だったなあ。Ski club時代の写真
右から私、木村さん、そしてメンバー。
ちなみに、私のウェアがピンク?(爆)
もちろん、それは、ROSSIGNOLのスキー Super Virageに合わせたからですよ。
今のでなく、当時のものもね、ピンクだから。
ヤッゲに感謝しよう。
忙しい中で、これだけ昔の時間を振り返らせてくれたのだから。
アルペンスキー万歳!
I Love Slalom Ski!!!
※今日アップした写真は、フイルムからプリントしたものをスキャンしたものです。
もちろん、それは、ROSSIGNOLのスキー Super Virageに合わせたからですよ。
今のでなく、当時のものもね、ピンクだから。
ヤッゲに感謝しよう。
忙しい中で、これだけ昔の時間を振り返らせてくれたのだから。
アルペンスキー万歳!
I Love Slalom Ski!!!
※今日アップした写真は、フイルムからプリントしたものをスキャンしたものです。
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